【箱根駅伝の歴史】箱根駅伝の誕生はアメリカ大陸横断の予選会!

こんにちは、みかづきです^^

今回は「箱根駅伝の誕生」について解説します。

箱根駅伝を知らない人は、ほとんどいないんじゃないのか?っていうくらい、今や大人気のスポーツになりました。

そんな箱根駅伝が、誰がどういう思いでつくったのかについて紹介していきます。

この記事では、著書「金栗四三(著:佐山和夫)」を参考にさせて頂きました。

それでは、10年以上ランニングを続けている筆者が、箱根駅伝の誕生について解説します。

目次

箱根駅伝の目的は予選会

今では箱根駅伝に出場するには、秋頃にある箱根駅伝の予選会に出場する必要があります。

そこでチームが上位(ボーダーライン)に入ると、正月に行われる箱根駅伝に出場することができます。

※箱根駅伝で10位以内に入ったチームは、シード権獲得で予選会が免除されます。

この予選会とは別物で、箱根駅伝は「アメリカ大陸横断をする駅伝」の選手選考のための予選会だったのです。

箱根駅伝は、速くて強い選手を厳選するための予選会!

箱根駅伝は、世界へ羽ばたくためのスタートラインであったと考えることができます。

箱根はロッキー山脈に見立てた

アメリカ大陸横断駅伝の予選会として、いくつかのコースが提案されていました。

具体的には、次のコースが候補だったとされています。

  • 水戸―東京間
  • 日光―宇都宮―東京
  • 箱根―東京間 など

これらの候補の中から箱根―東京間に決まったのは、以下の理由があります。

  • 1.箱根があるから
  • 2.道路事情が良い
  • 3.風光明媚にして、史跡に富む
  • 4.往復コースで宿泊・通信が便利

1番の決定打となったのは、箱根がアメリカのロッキー山脈を越える目的にかなっていることです。

”天下の険”とされる箱根を、ロッキー山脈に見立てたとされています。

こうして、箱根駅伝のコースが箱根―東京間に決まったのです。

第1回大会は2月に開催

耐寒訓練として、第1回の箱根駅伝は2月に開催されました。

あえて極寒の2月に開催されたのは、極寒のレースでも走れる耐性をつけられるようにするためです。

箱根駅伝を世界のレースへの通過点とされていた計らいが、強く感じられます。

アメリカ大陸の横断は中止に

第1回箱根駅伝は成功に終わりましたが、アメリカ大陸の横断は無謀だとされました。

(かなり序盤の方で横断の計画は中止されていた、とされています。)

箱根で学生が練習した成果を活かすために、箱根駅伝が開催されたのが真相となっています。

箱根駅伝を大学生の大会に

箱根駅伝誕生に貢献した金栗四三さんですが、その当時、自身はまだ現役ランナーだったのにもかかわらず大学生の大会にしました。

日本で初めての駅伝ある東海道五十三次駅伝競走では、金栗四三さんはアンカーとして走りました。

しかし、箱根駅伝では学生に限定しているのです。

これは筆者の持論ですが、金栗四三さんは自身の走力の強化以上に、日本の長距離界の未来に1番力を入れていたのだと思います。

特に学生の指導や大会の運営に力を入れ、日本人選手がいつか世界で対等に戦える時代を望んでいたのだと思います。

今の箱根駅伝の誕生には、上記のようなエピソードがあって誕生しました。

これからの箱根駅伝が、もっと面白く見られますね!

箱根駅伝に関する記事や日本初の駅伝については、以下の記事で詳しく解説しています。

ぜひご覧ください!

おわりです^^

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

このブログを運営している人

ランニングが身体の一部になっている「みかづき(筆者)」です。

市民ランナーとして普段は走っており、記事の中で出てくる「筆者」として記事を制作しています。このメディアを通して、少しでもランニングに関する悩みを解決したいと思っております。

目次