【箱根駅伝の歴史】日本初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」を解説

こんにちは、みかづきです^^

今回は「東海道五十三次駅伝競走」について解説します。

日本で初めて行われた駅伝で、この大会を通じて「駅伝」という言葉が誕生しました。

駅伝という言葉と人気を生む、きっかけとなった大会ですね。

この記事では、著書「金栗四三(著:佐山和夫)」を参考にさせて頂きました。

それでは、10年以上ランニングを続けている筆者が、東海道五十三次駅伝競走について解説します。

目次

日本初の駅伝

日本初の駅伝は「東海道五十三次駅伝競走」であり、正確には「東京奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競走」と言います。

この”駅伝”というキーワードは、当時の大日本体育協会副会長、神宮皇學館館長の武田千代三朗さんが名付けたものです。

江戸時代の伝馬制からヒントを得たとされています。

京都・三条大橋から東京・上野の不忍池までの23区間、計508km(実際は516km)を昼夜兼行で行われました。

箱根駅伝が10区間で100kmくらいですので、規模がとてつもなく大きいことが分かると思います!

関東と中部の対抗戦として

東海道五十三次駅伝競走は、”関東”VS”関西”の対抗戦だったと言われています。

しかし、最初は”関東”、”中部”、”関西”の対抗戦で予定されていたとされています。

その3つの地域で選手を集めたところ、関西ではチームが揃えることができませんでした。

そのため、選手が集まった関東と中部のみでレースが行われました。

  • 関東:第一高等学校、東京高師、早稲田からの選手
  • 中部:愛知一中などの選手

その他、人数調整でOBや教員までもが参戦しています。

箱根駅伝をつくったと言われる金栗四三さんは、関東チームのアンカーとして出場しています。

関東の勝利で終える

結果は関東チームが勝ち、中部に1時間42分の大差をつけました。

約500kmも走ったのにもかかわらず、差が1時間42分だけというのも驚きですね。

現代みたいな舗装された道は少なく、浜名湖に人が渡れる橋がかかっていなかったと言われています。

博覧会と同時期に開催

東海道五十三次駅伝競走は、1917年4月27日、28日、29日の3日間で行われました。

1917年という年は、首都が京都から東京に遷って50年の節目です。

その50周年を記念し、「東京奠都五十年奉祝博覧会」が開催されました。

その博覧会で、読売新聞社の協賛記念事業として「東海道五十三次駅伝競走」が開かれました。

この時代は、パリやロンドンと博覧会が頻繁に開催されていました。

そして、その博覧会(万博)にセットで行われていたのがオリンピックだったのです。

第1回のアテネ・オリンピック(近代)では盛り上がりを見せたものの、2回目以降は万博と結びつけたことで不発に終わっていたのです。

万博の期間が長すぎたため、オリンピック種目の間が長くなってしまったことなどが理由とされています。

駅伝の歴史ここに始まる

この東海道五十三次駅伝競走を記念して、2002年に東京の不忍池と京都の西京極運動公園に記念碑が建てられました。

そこに碑文で、「駅伝の歴史ここに始まる」と記されています。

この駅伝から、今の全国高校駅伝や箱根駅伝などが誕生していきました。

今では地域の持久走大会など、多くの場所で大会が開催されています。

駅伝と聖地として、ぜひ1度足を運んでみてください!

おわりです^^

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このブログを運営している人

ランニングが身体の一部になっている「みかづき(筆者)」です。

市民ランナーとして普段は走っており、記事の中で出てくる「筆者」として記事を制作しています。このメディアを通して、少しでもランニングに関する悩みを解決したいと思っております。

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