【箱根駅伝の歴史】夢と希望から生まれた奇跡の第22回大会!

こんにちは、みかづきです^^

今回は「第22回箱根駅伝」について解説します。

長い歴史を持つ箱根駅伝ですが、戦争などの影響で中止になることもありました。

そんなスポーツの大会が次々と中止される時代に、開催された箱根駅伝は本当に価値のある大会だったと感じます。

この記事では、著書「今昔物語~100年をつなぐ言葉のたすき」を参考にさせて頂きました。

それでは、10年以上ランニングを続けている筆者が、奇跡の第22回箱根駅伝について解説します。

目次

第22回箱根駅伝は奇跡の大会

戦争の時代ということで、駅伝の存続が怪しくなった時期でした。

ほとんど全てのスポーツの大会が中止になっている中、昭和18年に箱根駅伝が復活しました。

昭和15年の第21回大会以来ですので、実に3年ぶりの復活です。

昭和16年に「青梅駅伝」という大会が行われていますが、後に箱根駅伝とは別の大会と認定されています。

青梅駅伝は、昭和16年1月と11月に開催された、明治神宮と青梅熊野神社を往復する全8区間の駅伝になります。

戦争のための軍事物質輸送などを理由に、箱根駅伝のコースが使えなくなったことによってコースを変更しました。

昭和18年に第22回が行われた後、第23回箱根駅伝が行われたのが昭和22年になります。

その頃の箱根駅伝の開催年を整理すると、以下のようになります。

行われた時期箱根駅伝
昭和15年第21回大会
昭和18年第22回大会
昭和22年第23回大会

上記の表からも分かるように、3年ぶりに第22回大会が行われた後、次の第23回大会まで3年あきます。

ですので、第22回大会の箱根駅伝が、”奇跡の大会”と言われるようになったのです。

奇跡の大会の開催のために

「関東学徒鍛錬継走大会」という大会名で、昭和18年に第22回大会が開催されました。

箱根駅伝を開催するには、軍部に認めてもらう必要がありました。

そこで、当時の学連幹事長であった中根敏雄さんを中心に、様々な工夫がされました。

戦勝祈願に名を借りた、箱根駅伝の復活を目指したのです。

以下が、その変更内容です。

  • スタート時点を靖国神社・ゴール時点を箱根神社へ
  • 参加選手は靖国神社で戦勝祈願をしてから走り出す
  • ”メートル”表示から”尺”への変更など

投擲競技が手榴弾投げへ変更された時代ですので、いかに箱根駅伝の存続が偉大なものだったかが分かりますね。

また、ほとんど人が軍隊に入っていたので、審判も学生中心で行ったそうです。

箱根駅伝を存続するために、できることは全て行ったことも伝わってきますね。

箱根駅伝を継承する熱い思い

「箱根駅伝を出た後は、戦争へ行かなければならない」

第22回大会出場選手より

学生の人までが戦争に行かなければならない時期でもあったため、多くのランナーが大会後戦場に送り込まれたとされています。

先だった箱根駅伝の先輩を背負いながらも、自身の熱い思いを箱根においていかれたランナーも多かったはずです。

これまで箱根駅伝を継承してきた先輩方の思いを無駄にしないためにも、箱根駅伝を残そうとする人たちが多かったのでしょう。

そして2000年台に突入しても、箱根駅伝は今尚愛され続けています。

それは、第22回大会に関わった多くの人の熱い思いの上に、今の箱根駅伝があるからだとも考えることもできます。

これからもたくさんの思いを受け継いでいけるように、箱根駅伝を応援していきましょう!

今回参考にした書籍「今昔物語~100年をつなぐ言葉のたすき」は、Amazon・楽天から購入できます。

箱根駅伝の歴史に関する記事も紹介しています。

この機会にぜひ、ご覧ください!

おわりです^^

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このブログを運営している人

ランニングが身体の一部になっている「みかづき(筆者)」です。

市民ランナーとして普段は走っており、記事の中で出てくる「筆者」として記事を制作しています。このメディアを通して、少しでもランニングに関する悩みを解決したいと思っております。

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